エイドワーカー・ダイアリー:フィリピン大地震

Aid worker diary: Devastation in the Philippines

10月15日にフィリピン中部のボホル島を直撃した大地震により、35万人以上が家を失うなど、避難生活を余儀なくされています。OCHAスタッフ、プレルナ・スリ広報担当官が、現地アセスメントチームの一員として震源地近くの市街地を訪問しました。
 
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ロデル・バラスさんは、ここ5日間ほどぐっすり眠ることができません。この数年で最悪と言われる大地震により、6歳の息子さんをはじめ、家族4人を一度に失ってしまったからです。
 

ロデルさんはその時のことを振り返って、こう話してくれました。「いい1日になるはずでした。前庭で父は椅子の修理をし、母は屋内で洗濯をしていました。妻と私が用事で外に出ていた時、突然足元で地面が大きく揺れ始めたのです。急いで家に駆け戻った時、目の前で息子の姿が消えました。」

彼の息子さんと両親、そして兄弟たちは生き埋めとなり、6時間以上も倒壊した家屋に閉じ込められたのです。「家族が助けを求めて泣き叫ぶのを聞きました。耐え難い思いでした。」救助が到着するまでに8時間以上もかかり、いのちを救うには遅すぎました。息子さんのシェイム・ギル君は、今月20日で7歳の誕生日を迎えるはずでした。
 

アンテケラへ通じる道

アンテケラはボホル島の著名な観光地。とりわけ滝で有名ですが、実は活断層の真上に位置しています。地震は、かつて賑わったこの街を押しつぶしてしまいました。道路は至るところでひび割れ、瓦礫が散乱しています。損壊した家々は打ち捨てられ、街には不気味なほど人気がありません。
 
フィリピン火山地震研究所によると、大地震以降1,000回以上の余震が記録されています。その結果引き起こされた土砂崩れの影響で、多くの高速道路や幹線道路、また橋が通行不能に陥りました。
 

アンテケラに通じる橋が倒壊していたため、私たちは(東南アジアで一般にバンボートと呼ばれる)小さな木製の船で川を渡らなければなりませんでした。そこからオートバイに分乗して、土砂崩れの跡や倒木をかわしながら、埃っぽい道を縫うように走りました。残り数百メートルというところで、オートバイでは登れないほど勾配がきつくなり、最後は徒歩で向かいました。

やっとの思いでアンテケラに到着すると、私達以外の他の支援者はまだ誰も辿りついていないということを、住民のみなさんから知らされました。地震による停電のため、そして殆どの住民がモーターで汲み上げる地下水に依存していたことから、清潔な飲料水が殆ど手に入らない状態でした。またこのようにアクセスが難しいことから、アンテケラに支援物資を届けるのは、今も非常に困難なままです。
 

35万人以上が避難生活を送る

現地訪問の2日目、私たちはアンテケラ東部の、より震源に近いサグバヤンを訪れました。アンテケラがゴーストタウンのように静まり返っていたのに対し、サグバヤンは大混乱状態となっていました。数百人もの市民が街の中心部にある広場に集まり、誰かがどうにかしてくれるのをただ待っていたのです。
 
そこでリンダさんに出会いました。ここ5日、彼女は倒壊した自宅跡で、ビニールシートの下で暮らしていました。彼女の話によると、香港で家政婦として27年間働き、夢の一軒家を購入するために、こつこつと貯金をしてきたのだそうです。そして1年前、ようやく念願かなって寝室が3つある一軒家を購入したばかりでした。
 
「27年間、あの家を手に入れるために、爪に火をともすように僅かずつ貯金をしてきました。今では歳を取りすぎて働くことも出来ません。夫には先立たれ、子どもたちは独立して遠くで暮らしていて、誰も面倒をみてくれる人がいないというのに、これからどうしたらいいのでしょうか。」
 
地震によって35万人以上が避難を余儀なくされています。こうした人々の多くが生活を再建するには、何ヶ月も時間を要するでしょう。
 

人道支援

「仮設テントと清潔な飲料水が、最も緊急に必要とされていることが特定されました」と述べているのは、アンテケラを始め被災地でのニーズ調査に参加したOCHAフィリピン事務所長のデビッド・カーデン氏。「私たちは被災者全員に必要な食糧や医薬品を提供し、トイレへのアクセスも確保しなければなりません。生活再建を始められるよう、瓦礫を撤去する必要もあります。」
 
国連とその人道パートナー機関は、食糧や水、仮設テントや衛生キット、発電機やポリタンク、医薬品などを次々と被災地に送り込んでいます。OCHAはフィリピン政府をサポートする形で人道支援活動の調整を行い、パートナー機関に対して最新の情報を提供しています。また少なくとも今後6ヶ月はボホルに留まり、活動を継続する予定です。
 

希望の光

悲しみや恐怖、そして悲嘆といった感情が入り混じる中、希望の光を見出だすことも出来ました。出会ったのは救急車の後部で女児を出産したばかりのロザリアという女性。お産のための器具や特殊な医療設備もない状態で、助産婦さんの助けを借りて無事出産しました。「こんな経験をした最中、それでも赤ちゃんを取り上げてくれた、勇敢な看護士さんたちに感謝しています。」
 
ボホルではこうした勇敢な人々の話を、あちこちで耳にしました。たとえ家が無事だったとしても相続く余震の恐怖に怯え、また深いトラウマを抱えながら、あえて屋外での厳しい生活を送る人たち。一方で、避難場所を提供しあって助け合う近隣住民たちの話など。目撃した甚大な被害にもかかわらず、こうした人々の強さを物語る話を聞くたびに、ボホルの人々はきっとこの困難に打ち勝つに違いないという希望を、私たちは感じています。