エイドワーカー・ダイアリー:トロピカルサイクロン エヴァン

Fiji after Cyclone Evan (photo: OCHA)

2012年12月、サイクロン「エヴァン」がフィジー共和国、サモア諸島、フランス領ワリス・フテュナ諸島など太平洋の島国に上陸し、大きな爪跡を残しました。これら3カ国を襲った暴風雨は、家屋や学校、病院や重要な経済・観光インフラ等に深刻な被害を与えました。のべ4人が死亡、16,000人以上が避難し、1,400家屋が倒壊しました。3カ国の総人口は約110万人であることからすれば被害が甚大であることは確かですが、今回のように事前の備えが十分でなかったら、被害はもっとひどかったかもしれません。

OCHA神戸事務所長の渡部正樹はフィジーのスヴァ市にある太平洋地域事務所に派遣され、フィジー政府が主導する救援・復興活動をサポートしました。

----------------------------------------------------

日本での主な私の役割は様々な機関と密接な連携を構築していくことですが、同時にアジア・太平洋地域におけるOCHAの緊急支援活動の一翼も担っています。世界で最も災害が多発する地域なので、OCHAのスタッフとしていつでも求められれば出動すべく常にスタンバイしており、今回はその任務が回ってきました。

私がフィジーに到着した際首都スバは、多少の倒木や小規模の土砂崩れが残ってはいたものの、極めて平常通りに見えました。というのは、サイクロンの被害が大きかったのは、主に西部や南部地域だったからです。フィジーの西部地域だけで、のべ699の家屋が完全に倒壊し、614軒が部分的に被害を受けました。

太平洋地域を訪れるのは初めてでしたが、観光旅行で見るフィジーとは全く違う一面を見ることになりました。住民にとって気候絡みの自然災害は、現実的で切迫しており、益々ひどくなりつつある脅威です。エヴァン以前にも2012年3月にはフィジーは深刻な洪水に見舞われ、復興している最中に今回のサイクロンで更なる被害を受けた方が大勢いました。

フィジー政府は迅速に避難所を設置し、人々に食糧や飲料水、宿泊場所を提供しました。ピーク時にはフィジー全域で240ヶ所の避難所に11,696人が避難していました。オーストラリア、ニュージーランド、日本など近隣諸国の支援により、救援物資が配布されました。

私の役割はフィジー政府の災害対応や調整を支援することで、主にサイクロン後のニーズや支援状況を幅広く知らしめるために、OCHAシチュエーション・レポートを作成し、発出しました。

最もサイクロンの被害の大きいフィジー西部のラウトカに向かう途中、700人以上が住むナブツ村の村長、スリアシ・コロイ氏に出会いました。彼はサイクロンが接近してきた時を思い出してこう語りました。「あの時は家々の屋根が壊され、木はなぎ倒されて、海の水が自分たちのところに迫ってきていたよ。」しかし住民はどこに避難したらいいかを知っていて、政府が人々の移動を助けていました。「ラジオで避難警報が流れたのは少し遅かったけれど、それでもサイクロンが上陸する前に、住民全員が避難出来たんだ。」

避難していた住民たちが村に戻った後,、最大の課題は家の修理と漁業・農業・その他季節労働などの生計を立て直すことでした。政府からの支援に加えて、数多くのNGOや地域密着型の団体がシェルターキットや食糧支援を続けています。

各クラスターとの協議の上で編成された人道行動計画(Humanitarian Action Plan, 以下HAP)の策定の一助となれたことは私にとっても嬉しいことでした。総額3,200万ドルの支援を求める今回のHAPは、人道ニーズ全般や継続中の人道支援活動、ここ3ヶ月間に必要となるリソースを網羅すると同時に、今後長期的な復旧・復興のためのベースともなるフィジー政府にとって重要な文書です。「クラスターアプローチとHAPを導入することで、我々は太平洋地域における災害支援調整のモデルになれればと思っています」と、フィジー国家災害対策本部の援助調整官のワカ二サウ氏は話していました。

日本に戻る飛行機の中で、フィジーへの思いがけない出張を振り返っていました。心にいつまでも残るのは、サイクロン被害を克服しようと必死に努力していた、勤勉なフィジー人の同僚の静かな笑顔でした。またすぐにフィジーに戻りたい気持ちはあるものの、次回は出来れば休暇として、家族にもこの美しい国を見せてやりたいと思います。

英語版はこちら>>
日本語版PDFはこちら>>

Updated Date: 
24 January, 2013

トップストーリー